カメラは暗箱.
使い心地の善し悪しはあれど,カメラ自体はレンズが固定できて,フィルム面との関係が保持できる構造になっていれば,まあ,どうでもよいことになります.
プロフェッショナルは別にして,中判フィルムを大量に消費するような撮影を一般ピープルがすることは考えられませんから,機能がきちんとしているのならば写真機の使い心地が大きな問題となることはないでしょう.ましてそれが写真に影響すると考えるのは,まあ考えること自体を否定することはしませんが,その程度の写真を撮影できる能力しかもっていない,ということにほかなりません.カメラのせいにしても写真の質はあがりません.
ところが,事がレンズとなると話はすこーしだけ,違ってきます.
これが古今東西,写真家がレンズの選択に頭を悩ましてきた理由ですし,実際に写真の質に直接に影響するものだと考えます.世の中には「レンズ沼」というものがあるそうですが,一旦そういう沼にはまりこんでしまうと,なかなか抜け出すことができなくなるのは自然のことのように思えます.
Carl Zeiss Flektogon f3,5/65mm, Kiev88CM
Fujifilm Velvia F100
ところで,あるレンズを絶対基準で評価することができるでしょうか.
もちろん物理特性を正確に測定して,その比較をすることはできるでしょうが,数値を見ただけで,はたして優劣を決められるでしょうか?
たとえば解像度は高いほうがよいでしょうか?
これが電子顕微鏡のような詳細観察が目的である機器であれば,解像度の大きさが意味をなすことは確実です.最近では球面収差補正型のTEMが主流で,200kV程度と加速電圧をそれほどあげなくとも,詳細な観察が可能になり,じつに0.08nmという分解能が得られています.
一方でディジタルカメラの議論の一つに解像度というものがあります.技術の進んだ現在では,だいたい撮像素子の違いと言ってもいいものですが,この数値が大きいほうが良い写真を生み出すものでしょうか?
写真は最終的には観賞するものだと思いますけれど,その善し悪しの判断は感性によるもの,すなわち好き嫌いで判断されるものとすれば,かならずしも克明に写っている写真が良いとは限らないように思えます.実際にヘタウマという訳のわからない写真がありますが,でたらめにブレて,おまけにピントがどこにもないような写真もありますが,それらを支持する人たちもいるのだと思います.それが「げーじつ」と言われるゆえん.
中判カメラでは標準レンズと呼ばれるものは,35ミリを基準にすれば中望遠レンズに相当するものです.それを手持ちで撮影すれば,どんな高性能なレンズでも克明な写真を撮影するのは困難でしょう.さらに悪条件かさなる絞り開放での撮影なら,ピンボケ,手ブレのオンパレードとなることは必至です.しかし,これらの写真が悪いものであるかどうかの判断は,それを見る人に依存すると思います.ま,それでもハッシーのSWCじゃないかぎり,6x6以上の中判を手持ちで撮影するのは無理があります.せめて一脚は添えたいものです.
Mir-26b f3.5/45mm, Kiev88CM
Fujifilm Velvia F100
この6x6フォーマット用45ミリレンズは,30mmの魚眼レンズ等の特殊なレンズを別にすれば,P6フォーマットでもっとも広角なレンズです.35ミリ換算して25mmのレンズになります.手本にしたと考えられるCZのFlektogon 50mm(こちらは28ミリ換算)よりも5mm広くF値も0.5明るいという張切った仕様になっています.
先日の記事ではオリジナルの50mmの写真を掲載しましたが,こちらの二枚も同様なテイストになっています.同じ血を引いている特徴として樽型収差が見られますが,この構図ではあまり気になりません.
本記事のレンズは二本ともモノコートのレンズですから,直射が入るような条件だとフレアが暴れてしまいますけれど,順光であればこのようにクリアな描写をします.コントラストの落ち方も基本的に同一なテイストですが,ロシア製のMir-26bのほうがシャドーの階調に優れているように見られます.これは手抜きの鏡銅処理やいい加減なコーティングによって「ハレ」ていることが原因と考えられます.
マルチコーティングによる無駄な反射を極限まで軽減することは重要ですが,それがかならずしも良い写真につながるわけではないという例証であろうと思います.Leica用のオールドレンズを好まれる人が多い.モノクロで撮影した場合のトーンの出方が良好なのが一つの理由ですが,これがフレアによるものであるのはよく知られていることです.